2016年4月21日

危機管理体制に関して~元陸将補 矢野義昭氏の論説交換をとおして~

ヒトと感染症の歴史は長く、紀元前エジプト時代にさかのぼる。その時代のミイラから、脊椎カリエスに特徴的な背骨の屈曲を示すものが複数発見された。脊椎カリエスは、結核菌によっておこる骨病変であり、その当時すでに結核が人々の間に流行していたことがわかる。結核は最も人類と付き合いが長ため、病因解明、治療法の確立(化学療法、ワクチン)、予防といった、現代医学の基礎となった疾患である。結核の他、天然痘ウイルスも長い間人類を苦しめた感染症であるが、有効なワクチンの開発により、地球上から根絶された。このように、衛生状態などの改善に加え、ワクチン、薬剤の開発などにより、感染症は少なくなり、先進諸国にとって、すでに「過去の病気」と言われるようになった。
ところが、既に制圧された感染症は、新たな脅威となって私たちの前に立ちはだかるようになった。それは、HIV/AIDS、MERS, SERSといった新しい感染症の出来とともに、かつて制圧された病原体が、新たな脅威として、私たちの前に立ちはだかってきたからである。その脅威とは生物テロである。
生物テロに関する研究は世界中でなされてきた。その研究者を驚かせたのは、我が国のカルト集団、オウム真理教が行った、炭そ菌、ボツリヌス菌によるバイオテロである。オウム真理教は、「地下鉄サリン事件」を引き起こした集団として有名であるが、彼らたちが行ったこのテロは成功しなかったが、この事件に世界は驚愕した。オウム真理教は生物テロの専門家集団をもたなかった。そのような“素人”組織が、通常の集合住宅のキッチンで、生物兵器を量産していたという事実が、世界中を震撼させたのである。生物兵器は「貧者の兵器」と呼ばれるが、それを実証したのが、世界初のオウム真理教によるバイオテロである。これがきっかけとなり、世界はバイオテロを現実のものとして動き出した。WHO(世界保健機関)や欧米各国の政府機関は、バイオテロ専門部署を作った。また、WHOが”Health Security”という言葉を使いだしたのも、オウム事件がきっかけであった。この言葉が意味するものは、「健康問題はもはや、安全ではない」という事である。
こうした世界の動きに比して、当の我が国はどうだったのだろうか。オウム事件の後、H1N1豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)、エボラ感染症、MERSなど、世界的に重要な感染症が発生したが、その対応を見る限り、大きく遅れている、と言わざるを得ない。象徴的な例が「水際作戦」である。水際作戦は軍事用語であり、その有効性は軍事的にも大きく疑問視されている。
感染症対策において水際作戦が使用されたのは、14~15世紀、世界中で猛威を振るった、ペスト流行である。当時、イタリア等の海岸線で、汚染地からの船を国内に入れないために、40日間留め置いた。検疫(Quarantine)の由来はここから来ている。結果として、ペストから逃れた国はなかったのである。また、当時の輸送機関は船が主体であったが、現在は飛行機である。48時間以内世界中のどこでも行かれ、多くのトランジットが行われている現代で、「水際」という言葉自体、時代遅れ甚だしい。H1N1豚インフルエンザ流行の際、「感染者を一人も入れるな!」のスローガンのもと、防護服に身を包んだ検疫官が空港を駆け回った姿は、我が国では英雄視されたかもしれないが、世界の失笑をかっていた。WHOは「検疫の有効性は確立されていない。海外からの渡航制限をしないよう」、こうした水際作戦を繰り広げた我が国を名指し同然で注意喚起を行ったのも、記憶に新しいところである。
なぜ、“先進国”と称される我が国が、このように世界とかけ離れた感染症対策を行うのだろうか。それは、「有事と平時の区別がついていない」すなわち、「危機という概念がない」という事に尽きる。この事実を示す一例が、検疫法と感染症法の二本立ての法律である。
感染症に対する法律としては、検疫法と感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)がある。また、緊急事態と認識された場合は、新型インフルエンザ法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)がある。これらの仕組みが、有事(緊急時)に即しているか、というと、そうではない。
まず、このような法体系に基づいた仕組は効率的ではない。検疫法は、国内に常在しない感染症が国内に入ることを防ぐための法律で、活動主体は厚生労働省の出先である検疫所である。検疫所は主要国際空港と、港という外国からの玄関口にある。ところが、一たび国内に入ると、検疫法は外れ、国内法と呼ばれる感染症法に法って、感染症対策が行われる。この時の活動主体は、地方自治体だ。2009年の新型インフルエンザ流行の際、防護服を着て空港内で活動していたのは検疫所職員で、2014年、デング熱患者発生の際、同様の防護服を着て、代々木公園などを消毒していたのは、東京都の職員だ。また、検疫所の職員は、国際線ターミナルの制限区域に立ち入ることはできるが、国内線旅客ターミナルには立ち入れない。
感染症法も国の法律であるから、厚労省の関与がないというわけではないが、感染症法に指定された感染症が発生した場合は、個人ないし医療機関が保健所に届けるというのが骨子で、その情報を地方自治体通じて国に報告するという流れである。それゆえ、厚労省は、新型インフルエンザ流行の際も、国で決定された事項を「通知」あるいは「事務連絡」という形で地方都道府県に依頼をすることになる。
1979年FEMAアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁:Federal Emergency Management Agencyレオ・ボスナー氏が来日し、1年間の視察ののち、多くの提言をおこなっている。それ等をうけて、指揮命令系統の一体化がはかられた。すなわち緊急事態と国が認識した場合は、内閣官房などが主体となった初動体制が敷かれることとなった。内閣情報調査室から総理、官房長官、危機管理審議官、ならびに、内閣危機管理監(現在は警視総監)、内閣官房副長官補(官僚)、危機管理審議官に速報が入り、官邸対策室ができる。対策室は、緊急参集チームと協議して、関係省庁尾局長級が招集され、有事の種類、事態などに応じて、主幹府省庁が決定される。エボラ出血熱に関しては、現在、内閣官房新型インフルエンザ等対策室が、先導を取ることになっている。
一見、このように統一された指揮系統の元、問題なく組織が稼働すると思われるが、残念ながら、実際の稼働となるとそうではなくなってくる可能性が高い。検疫法と、感染症法の、2つの柱があるという事は、それらの法令に伴う棲み分けがあるという事である。具体的には、厚労省本省→結核・感染症課⇔検疫業務管理室→検疫所という厚労省ルートと、保健所→地方自治体→厚労省という地方自治体主体の枠組みである。
国と地方自治体の棲み分けは、例として国際線ターミナル内を区切りとし、地方自治体では県境などが区切りとなる。検疫所は、当該疾患の疑い例に対して「体温測定を一日2回して、体調を検疫所に伝えるよう、また、具合が悪くなったら感染症専門の医療機関を受診する、保健所に相談する」と伝えるが、対象者がそうしなければならない法的な義務はなく、それらの事を、強制する力も国にはない。
また、地方自治体は国からの通知や事務連絡を受け取るが、それを現実的にどう適応させるかは、地方自治体ごとに違ってくる。今回の疑い例が国と地方をまたがったように、地方自治体をまたがることも十分想定されるので、地方自治体ごとのすり合わせをしっかりとしておかないと、実際に事が起こった時スムースに物事が進まなくなる可能性が高いと言える。
繰り返すが、国家の危機と判断された場合は、内閣危機管理監がリーダーとなって初動体制が敷かれる。総合調整として、各省庁に分担を振が、感染症の場合は、厚生労働省である。そうなると、平時の場合と同様のルート、すなわち、国内に入れないような水際作戦に過度に注力し、国内に関しては地方自体に依存するところが大きいという、平時の体制とほぼ変わらないやり方で、対応が進んでゆくことになる。
クリントン政権時代、初代FEMA長官を務めたジェームズ・ウイット氏は、講演で、「日本して、多くの異なる省庁が異なる責任をもっているようである(中略)どこが総括的な計画をもっているのか、どうやって一緒に協力していくか、どうやって資源を調節するのか。中央のレベルから実際の地方のレベルまでどのように協力し、どうやって一定の資源から最大の効果を引き出すのか。資源は限定されており、いかにむだを省くかなど計画はあるのかがはっきりしない」としています。様々な通知などは発令されていても、天然痘やエボラ感染症を受け入れられる医療機関は全国45で、総ベッド数80であり、医療スタッフも不足している現状は、ウィット氏の指摘がそのまま当てはまることを示す例だといえる
検疫法ができたのは昭和初期で、船が輸送の中心であった時代であり、現代にはそぐわない法律である。また、検疫法には「隔離・停留」という言葉が何度も使わる。隔離という言葉は、日本語ではあまり正確に区別されていないが、isolation=患者を一般集団から離す、quarantine=患者だけでなく、感染の可能性がある場合も一般集団から離す、という明確な区別がされている。特に患者でない人を一般集団から離す場合は、健常人である可能性もある人の行動制限を行うことから、十分な注意が必要なのは言うまでもない。
隔離することの効果(医学科学的でなく社会的、政治的な側面も含めて)が、個人の自由を制限することによって生じる負のインパクト、例えば倫理的な側面など、を上回った時にだけ、その権力を行使すべき、と、D.A. Henderson氏は、述べている(Bioterrorism JAMA books)。感染症が今後大きな社会問題となってゆく中で、隔離・停留の法的議論がなされないことは、エボラウイルス流行の際、その感染の可能性が否定できない米国の看護師が、個人の自由の主張を行い、州政府と争った状況とはあまりにかけ離れていると言える。
我が国の危機管理体制を、感染症対策を例に論じたが、「有事と平時の区別がついていない」という状況は、国家の安全保障上きわめて大きな問題である。早急な対策(法改正を含め)が求められる。



    矢野義昭

我が国の危機管理体制一般について言えることだが、憲法に緊急事態条項がないことに端的に象徴されているように、我が国には「危機を想定し、それに備える」ための危機管理体制が本質的に欠落していると言える。もちろん、防災・減災など、自然災害多発地帯の日本では、自然災害に対する対策は進んでいる。しかし、危機一般に対する備えは他の先進国と比べて遅れていると言わざるを得ない。
その根本原因として挙げられるのが、木村先生もご指摘されているように、一つは、省庁の縦割りと国と自治体の仕切り、自治体間の地理的管轄地域の分離といった、組織間の分断が危機時にも維持され、統一的な組織的危機対応ができにくい仕組みになっていることがある。
例えば、自然災害への被災者対応でも、救助は消防、搬送は自衛隊、検死は警察、埋葬や家族への通知は自治体と、本来の権限区分に応じて現場での対応行動も分断されることになる。それでも災害の現場ではお互いに協力し、相互に融通できることがあれば、平時の権限区分を超えて活動しているのが実態である。厳密にいえば越権行為かもしれないが、人命に関わる活動を寸秒刻みで全力で展開しなければならない被災現場では、そのようなことは言っていられない。とにかく、利用できるものはなんでも利用して、当面の危機、特に人命救助に全力を挙げなければならない。
しかし今の法制にはそのような危機時の現場感覚に根差したリアリティが欠けている。あくまでも平時の行政的対応や手続きが基準になっており、危機時を想定した、平時とは別の緊急時の法体系が十分に整備されていない。例えば、外国ではごく当たり前のことだが、緊急時には自己完結的な能力を持っている軍などに権限を集中し、その指揮のもとに各危機対処組織が連携して一体となって危機に対応するという態勢をとるための根拠規定は、日本の憲法以下の法体系には欠落している。
このようなことを主張すると戦後の日本では、「軍国主義」という非難が繰り返されてきたため、緊急時を想定した有事法制の整備なども遅れてきた。また、現在の有事法制についても、他国に比べ、危機対応という点では極めて不十分なものでしかない。国家、公益の立場に立ち、私権を制限してでも危機に備えるという前提での法制整備がなされてこなかったためである。
それでも、災害対策基本法など防災関連では、阪神淡路大震災で惨害をこうむった経験なども踏まえ、一般国民を対象にした罰則を伴った協力義務規定が明記されている。しかし、例えば防衛警備については、国民一般の私権制限や罰則を伴う協力義務規定については、極めて抑制的な規定になっている。そのため、例えば民間の物資を利用し、あるいは特定の民間人に業務従事を義務付ける条文は、自衛隊法では謳われていても、それを裏付ける下位の法令は十分整備されているとは言えない。徴用や徴発といった概念は、現在の日本では禁句になり封印されたままである。
しかしそれでは、国民の総力を結集しなければ対応できない重大な危機が発生した場合に対応できないことは明らかである。その一例が、福島第一原発の事故であった。全電源喪失の事態に至った時、例えば自衛隊の大型ヘリで非常用発電機やバッテリーを空輸していれば、メルトダウンに至らなかったかもしれない。しかし計画もなく訓練もしていなければ、危機時の時間的に追い詰められ情報が錯綜する中では、そのような発想すら出てこない。そのために、回避できたはずの重大危機を招いてしまったことになる。
第一次大戦中のスペイン風邪並みのパンデミックが発生すれば、世界で4千万人以上の死亡患者が出るとも言われている。オウム真理教の地下鉄サリン事件では、世界で初めてテロで大量破壊兵器(核・生物・化学兵器、放射性物質などを用いた大量殺戮が可能な兵器)が使用された。特に生物・化学兵器は、核兵器のような高度の技術も多額の予算も特殊な投射手段も必要ではなく、極めて安価に、大した技術も必要がなく製造でき、日常的な方法で持ち込みも使用も可能である。それでいて、被害の規模は核兵器よりも重大かつ深刻である。
化学兵器は農薬製造の技術を転用すれば比較的容易に製造できる。原料物質も大量に備蓄され流通しており、入手も容易である。生物兵器も天然痘など世界的に撲滅されたはずのウイルスや細菌を密かに培養し、それを不特定多数者に何らかの方法で感染させることに成功すれば、航空機その他の交通手段が世界的に発達した現在では、数週間から数か月のうちに世界的に感染を拡大することもできるであろう。また、遺伝子操作などの技術を使い、新種の生物兵器を製造することも可能になっている。
北朝鮮は、核兵器だけではなく、世界最大規模の化学兵器や生物兵器の備蓄を持ち、ISなどのテロ組織が化学兵器を保有していることも知られている。さらに国際的に孤立している北朝鮮が国際テロ組織と協力関係を結び、生物・化学兵器を密売しとしているのではないかとの懸念も高まっている。サミットや東京オリンピックのような国際的イベントは、国際テロ組織にとり名をあげ存在感を誇示するための格好の場でもある。日本も万全の備えが必要である。
生物兵器テロを想定した場合、木村先生が指摘されているように、日本の水際での検疫と自治体を中心とした国内での対応という二本立て体制では、国を挙げた組織的統一的な対応が効果的に実施できないことは明らかである。さらに自治体間の連携も容易ではない。各省庁、自治体を束ねた、米国のFEMAのような国レベルの危機管理組織を設立する必要がある。
また、国レベルの危機管理組織を中心に、平常時から各省庁、自治体の実務担当者が一堂に会して緊密な情報交換を行い、それぞれの権限や能力、連絡調整先などを周知しておかねばならない。危機管理組織は統一的な危機対処計画を策定し、それに基づき関係危機管理組織の訓練を行い、その成果を評価し不備な点を改めさせる権限をもたねばならない。それらの活動に必要な独自の予算と人員も必要である。
このような国レベルの省庁横断的な相応の権限と資源を持った組織の創設がなされない限り、国全体としての効果的な危機対処態勢は取れない。しかし、現状では、省庁の既得権、縄張り争いが先に立ち、結局、面倒な権限争いの再燃を避けて、現状の組織の延長で危機時にも何とか対処するという結論になりがちである。その結果、現状の本質的な問題は未解決のまま先送りになる。これが、これまでの姿であった。
しかし、これほど世界的にさまざまの危機が深まり、グローバル化が進んで日本も世界に蔓延している危機にいつ巻き込まれるかわからない情勢のもとでは、日本も他の先進国が採っているような、国家レベルの省庁横断的な危機管理専従組織を、早急に創る必要がある。それが遅れれば、また出さなくていい犠牲を出し、国家的な重大危機を招き寄せることになるであろう。その被害を被るのは国民自らである。このことに思いを致せば、官庁や政治家任せにせず、国民自らが危機管理組織創設の声を上げなければならないことは明白である。それ以外に、現状を打開する道はないように思われる。

2015年12月22日

子宮頸がんスクリーニングに関して

タレントで弁護士の大渕愛子さんが、子宮頚部の高度異形成にて手術をうけると報道されていました。高度異形成は上皮内がん(0期のがん)も含みます。それ故、円錐切除と言われる手術をして、病変部を取り除きます。
子宮頸がんは、早期発見によって死亡率を低下できるがんの筆頭です。特に上皮内癌の段階で見つかった場合は、ほぼ100パーセントの生存率が期待できます。それ故、WHOでも子宮頸がんのスクリーニングを世界的に啓発しています。また、厚労省助成を用いて行われた研究班もガイドラインの中で、子宮がん検診の有効性を強調しています。

子宮頸がんの原因の一つにHPV(ヒトパピローマウイルス)感染症の関与が指摘されています。子宮頸がんの多くは開発途上国で発生しますが、先進国でも若年層を中心に増加傾向にあります。

このように、早期に発見すればほぼ100%治ると言われているがんですが、我が国の検診状況は、というと、欧米諸国と比して、遅れをとっているのが現状です。
欧米諸国の子宮頸がん受診率は50%以上であるのに比して、我が国は40%に満たない状態です。

なぜ子宮頸がん検診を受けないのか、という理由の第一位は、「見つかったら怖いから」というものでした。
こうした反応が出てくるのは、「早期の子宮頸がんはほぼ100%完治する」という事実が、きちんと伝わっていないからだと思います。


検診による早期発見が、死亡率を低下させるというエビデンスを、国民に周知徹底させる啓発活動が、より活発に行われる事を望みます。

2015年10月13日

乳がんスクリーニングは効果があるか vol.3

女性芸能人の一人がご自身の乳がんに関する情報を明らかにし、乳がんに対する社会的関心は高まっているように思います。

乳がん検診に関しては、私自身いくつか記事を書きましたが、あらためて検診(スクリーニング)の有効性、社会的インパクトなどに関してまとめたいと思います。

(乳がんスクリーニングは効果があるかVol)

(乳がんスクリーニングは効果があるかVol2

(「乳がん検診、TBSに医師らが中止要望」はどんな意味があるが)

折しも、米国予防医療サービス専門作業部会US Preventive Services Task Force:以下「USPSTF」)が、乳がんスクリーニングに関して、20154月に改定を出したところです。

USPSTFは、世界中の乳がん検診における有効性に関する論文を精査し、定期的に改定を出しています。というのも、乳がん検診における有効性(マスとして死亡率をどの程度低下させるか)、また、有効だったらどのようなスクリーニング手段が良いか、また、そのスクリーニング検査によって引き起こされる負のリスク(疑陽性率など)が、完全に解明されていないためです。
最も大きな影響を世界の乳がん検診政策に与えたものの一つが、2009年のガイドライン改定です。前述した記事にもありますが、それまでは有効性が高いとされていた、40歳代のマンモグラフィによる乳がん検診が、費用効果的に高くなく、国民全体に対する検診スクリーニングとしては推奨されない、というのが大きな改訂のポイントでした。マンモグラフィによる検診頻度も、12年に1回から、2年に一度に変更されたことも、世界の医学会に大きなインパクトを与えました。

今回の20154月の改定はさらに厳しいものとなっています。要約すると、「5074歳のマンモグラフィによる、2年に1度の検診を勧奨する」というもので、今まで全体スクリーニングの対象となってきた4049歳の女性に関しては、自己判断で検査を受けるべきとしています。その背景としては、現在までのエビデンスの見直しがあります。

概要は以下の通りです。
1. マンモグラフィが、3969歳までの乳がんによる死亡率を減少させたというエビデンスは不十分。
2. マンモグラフィによる疑陽性(本当は乳がんでないのに乳がん疑いとして判定される事)、さらなる画像検査を要することは少なくない。
3. 医師による視触診ならびに自己チェックによる利点は示されていない。


我が国では、年間約89千人が新しく乳がんにかかっています。そして、平成25年厚生労働省の統計によれば、約1.3万人(10.5/100,000)が乳がんにより死亡しています。
どういった原因で乳がんにかかるのかは、全て解明されてはいませんが、遺伝、人種、生活習慣、妊娠出産の有無などがかかわっているといわれています。

日本では、がん検診という制度があり、この歴史は昭和30年代にさかのぼります。前述した米国の動きなどから国はその制度の見直しを始めており、平成279月には、「がん検診の在り方に関する検討会中間報告書~乳がん検診および胃がん検診の検診項目などについて~」をまとめています。
厚労省の乳がん検診項目に関する提言としては、以下の通りです

1. マンモグラフィによる検診を原則とする
2. 視触診については死亡率減少効果が十分ではなく、精度管理の問題もあることから推奨しない。仮に視触診を実施する場合は、マンモグラフィと併用することとする。
3. 超音波検査については、特に高濃度乳腺の者に対して、マンモグラフィと併用した場合、マンモグラフィ単独検査に比べて感度及びがん発見率が優れているという研究結果が得られており、将来的に対策型検診として導入される可能性がある。しかしながら、死亡率減少の効果や検診の実施体制、特異度が低下するといった不利益を最小化するための対策などについて、引き続き検証していく必要がある。
4. 対象年齢:40歳以上とする
5. 検診間隔:2年に1度とする

今まで論じたように、乳がん検診に関しては、「できるだけ早い年齢から年に一度の検診」から、「限られた年齢層をターゲットとした、きめられたスクリーニングツールでの検診」という流れに変わっています。
がん検診(スクリーニング)は、国や地方自治体の税収、すなわち、私たちの税金で賄われます。それ故、全体として費用対効果がない検査を導入するのは、意味がありません。また、マンモグラフィによる乳がん検診で永らく指摘されているのは、その疑陽性率の高さです。
もし、若い年代に、間違って「乳がん疑い」と診断されれば、たとえのちに乳がんでないと判明したとしても、それが判明する間、大きな不安を持って待つことになります。また、次の年も、「もしかしたら、乳がんが発生しているかもしれない」といった不安が大きくなり、その精神的影響は大です。

日本のがん登録制度は、欧米の大規模コホートなどと比較するとその網羅性から、信頼度が低いと言われています。このがん登録制度を充実させることは不可欠です。また、今まで、法に基づいて行われてきた、健康診断(がん検診も含む)におけるデータは、世界に類を見ない包括的なものです。こうしたメガデータを活用し、未だ答えが出ていない、「乳がん検診はやったほうが良いのか。そうであれば、どんな人にどういったやり方で行うのか」という命題に大きく貢献することになります。

国は、こうしたデータの開示を速やかに行うとともに、世界中の研究者に解析できる環境を提供させることが必要です。それがひいては、国民個人の利益につながるのですから。

2015年10月7日

オンコセルカ感染症とイベルメクチン

昨日、大村教授がノーベル医学生理学賞を受賞しました。オンコセルカ症は日本ではなじみのない寄生虫疾患ですが、その治療薬であるイベルメクチンの果たした役割を中心に論じでいきたいと思います。

オンコセルカ症は、Onchoceca volulus感染したブユに刺されることによってヒトにうつります。オンコセルカ症の99%はサハラ以南アフリカ(31か国)で発生しています。また、ラテンアメリカやイエメンでも症例がみられます。“河川盲症(River blind)”ともよばれ、川岸でブユに刺されて感染し、失明することがあります。オンコセルカ症の患者は年間1800万人といわれ、そのうち27人が失明すると報告されています。特に、途上国の子どもの失明原因として、重要な疾患です。


オンコセルカ症には有効なワクチンも予防法もありません。このため、WHO(世界保健機関)1974年から2002年にかけてアフリカ地域オンコセルカ制圧活動を行いました。この結果、4000万人がこの病気から救われ、60万の失明を防いだとされています。特に、1800万人の新生児失明を未然に防いだインパクトは大きく評価されています。

この制圧活動に大きな役割を占めたのが、イベルメクチンです。イベルメクチンの発明まで、制圧活動は寄生虫駆除のための殺虫剤空中散布でした。これは人体にも影響があることは明らかです。こうした人体への影響をほとんど心配することなしに、オンコセルカ症の治療ができるようになったことは、いかに大きなインパクトを与えたかは想像に難くありません。こうしたイベルメクチンの効用は患者を治すだけにとどまりません。
殺虫剤散布で汚染されるところだった、2500ヘクタールの農地が救われ、1700万人を飢えから救ったのです。

世界中には、多くの感染症があり、人々を苦しめています。マラリア、結核、HIV/AIDSWHOが最も重要視している疾患といえるでしょう。しかしながら、これらの三大感染症以外にも、多くの感染症が途上国に住む人たちの大きな問題です。これら、あまり注目されない感染症は、NTD(Neglected tropical Diseases)と呼ばれます。

NTDはその症例数や広がりにおいて、マラリアなどよりはインパクトが低いと評価されがちですが、今回のオンコセルカ症のように、生まれながらの見えない子どもたちを増加させる重要な疾患ばかりです。

2015年、ゲーツ&メリンダ財団は、オンコセルカ症を含む寄生虫疾患対策の重要性を書面でWHOに対して強調しています。

疾病コントロールには、予防のツールである予防薬やワクチン、また治療薬の開発が必要です。製薬会社は、高血圧や糖尿病といった、費用対効果が目に見えてすぐれている薬剤に目を向けがちです。しかし、イベルメクチンのように、長期的に見た場合、その地球規模でのインパクトが大きい疾患に対して、力を注いでほしいと思います。

2015年9月28日

肝内胆管がんについて~どうやって予防するか~

先日、ある女優が肝内胆管がんで亡くなりました。54歳という若い年齢からも、衝撃
を受けた方が多いと思います。

そこで、今回は肝内胆管がんについて、書こうと思います。

胆管癌は胆管の上皮細胞から発生する悪性腫瘍です。脂肪などの消化を助ける胆汁と
いう物質は、肝臓で作られ、胆管という管を通じて、十二指腸に送られます。このた
め、胆管には、肝臓内にある「肝内胆管」と肝臓の外にある「肝外胆管」にわかれま
す。このため、胆管癌は、発生した胆管の部位により、肝内胆管がんと肝外胆管がん
の2種類に分けられます。一般的に「胆管がん」というと、主に肝外胆管に発生し
たがんを指します。これは、肝内胆管は肝臓内にあるため、肝臓にできたがんとし
て、肝細胞がん(略して肝がん)と一緒に取り扱われることが多いです。肝臓にでき
るがんの多くは、肝がんといわれる、肝細胞がんは、肝臓にできるがんの90%以上を
占め、管内肝肝がんは肝臓のがんの中では頻度は少なく、3~7%程度と言われていま
す。

国立がん研究センターによる2015年のがん死亡数予測では、胆嚢・胆管がん死亡は、
男性で9500人、女性9700人とされています。肝内胆管がんはやや男性に多いとされ
ています。また、欧米人と比べて、アジア人が罹る率は高いことがわかっています。

肝内胆管がんの原因はよくわかっていませんが、肝内結石症、原発性硬化性胆管炎、
肝寄生虫症、トロトラストが危険因子とされてきました。近年はC型肝炎との関係も
報告されています。

胆管がんは胆汁の通り道である胆管(直径約1cm)にできるがんなので、腫瘤とい
う、”いぼ”のような状態で発育した場合は、比較的早い段階で胆汁の流れが悪くな
り、顔や体が黄色くなる、黄疸症状がでて見つかることが多いといわれています。し
かし胆管粘膜上皮から発生した場合、インクが紙にしみこむようにして広がるため、
胆汁の流れを妨げることなく進行するので、進行するまでほとんど症状が見られない
こともあります。予後を示す5年生存率(5生率)は、30~50%と予後が厳しいがん
といえます。

胆管がんは進行も早く、肝臓機能障害によるかゆみや白色の便、目や皮膚が黄色くな
る黄疸が現れれたときには、既にかなり進行している場合も多くあります。このよう
なステージになると、手術で取ることが不可能になることも少なくありません。他に
全身の倦怠感や食欲不振、腹部や背中、腰などに痛みを伴うこともありますが、「こ
れが胆道がんだ」という特異的な症状は乏しいのが特徴です。また、胆管は直径が細
いため、超音波検査などの通常、人間ドックなどで行われる検査では見つかりにくい
という問題もあります。

早期発見、早期治療はがん治療の鉄則ですが、肝内結石などの危険因子が存在してお
り、これを防ぐのは予防策の一つと言えます。肝内結石とは肝臓のなかの胆管(たん
かん)に結石ができる病気で、欧米に比べ日本を含めた東アジアで多くみられます。
コレステロールなどの脂質代謝とはあまり関係がなく、欧米人より日本人のようなア
ジア人に多いことから、地域特異的感染症、遺伝などの影響が示唆されます。

このようにまだ多くがわかっていない肝内胆管がんに関しては、今後さらなる疫学調
査が必要だと思います。原因解明が進むことが、その疾患の予防につながるからで
す。

2015年6月16日

サイバーセキュリティ対策に関して

 年金情報が外部からの攻撃によって流出した、という事実は大きな社会問題として取り上げられています。さらに、東京商工会議所でも、コンピューターウイルスを介した感染により、会員情報が外部に漏れるという事件も生じています。そこで今回は、我が国のITセキュリティはどうなっているのか、論じることにします。
こうした、「情報」に対する攻撃は、インターネットが普及しだした1990年代から増え始め、現在では、攻撃の手段も巧妙化しています。ITネットワークに対する攻撃は、個人のみならず、企業、団体、ひいては国家の脅威となっており、国家レベルの攻撃に及んだ場合、サイバーテロと呼ばれます。警察庁はこれを以下のように説明しています。
“サイバーテロとは、重要インフラの基幹システムに対する電子的攻撃又は重要インフラの基幹システムにおける重大な障害で電子的攻撃による可能性が高いものとされており、一般的にはコンピュータ・システムに侵入し、データを破壊、改ざんするなどの手段により、国家又は社会の重要な基盤を機能不全に陥れる行為をいい、サイバー犯罪の中でも最も甚大で深刻な被害を及ぼす危険があると考えられています” http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/haiteku/cyber/cyber.htm
 
 世界にサイバー攻撃の重要性を認識させたのが2009年に起こった、米韓政府に対するサイバーテロでした。我が国は2005年に情報セキュリティ保護に帰するため、NISC(National center of Incident readiness and Strategy for Cybersecurity:内閣サイバーセキュリティ)を発足させました。しかし、2011年、防衛産業の一角を担う三菱重工票がサイバー攻撃を受け、大きく報道されました。この事件後、衆議院議員のパスワードが盗まれていた可能性や、外務省の在外公館のコンピューターにウイルス攻撃にあったことなどが、明らかになりました。時代が進むにつれ、サイバー攻撃も進化し、DDOS(Distribute Denial of Service:分散サービス拒否)から、より重篤な標的型攻撃へと変わって行きました。国際社会はサイバーセキュリティの問題に対しては早くから反応しており、2001年にサイバー犯罪条約を採決しています。日本では欧米に遅れて、2012年に正式批准されました。

 情報に関しての重要性は、フランシス・ベーコンの「知は力なり」という言葉に集約されています。経験論と科学的方法を主体とした考えは、近代の情報戦の基礎となりました。米国国防省の情報認知局(Information Awareness Office)は そのロゴに、scientia est potentia(knowledge is power)を用いていることからも、現代の国防に情報はもっとも重要なものであることがわかります。実際、米国が大戦で日本に圧倒的に勝利したのも、日本の暗号化された情報を、ほぼすべて把握した事が大きく影響している、といわれています。こうした苦い経験を持つ我が国のサイバーセキュリティは十分かと言われれば、そうとは言えないのが現状です。

 第一に予算の問題です。アメリカ合衆国と日本の国家予算は国民一人あたりについていえば、それほど変わりません(2015年人口はアメリカ:日本は、約2.4;1)。しかしながら情報セキュリティに係る日本の予算は、585億円(2016年)です。これに比して米国は140億ドル(約1.7兆円)という2016年大統領予算を示しています。

我が国では、2015年から2016年にこの分野の予算は100億円以上の増加を示しており、政府として重要視している分野であることは確かです。しかし、様々な目的に使われる予算の中で、どの分野に予算を多くあてるかは、国がその部分をどれだけ重要視しているかの現れですから、依然として存在する両国間の大きな差は一目瞭然と言えるでしょう。

 二番目の問題は、体制に関することです。20097月、米国と韓国政府は同時攻撃を受けました。韓国のサイバーテロ対応は、政府部門、民間部門、軍事部門の3つに分けられています。この3部門の総括をするのが国家サイバー安全戦略会議です。この安全会議は、2004年大統領令によって発足され、その議長となる国家情報院長には絶大な権限が付与されています。2009年のサイバー攻撃以降、その体制は強化され、実効的なガバナンス機能を有するモデルと言われています。我が国のNISCは当初のNational Information Security CenterからNational center of Incident readiness and Strategy for Cybersecurityと名前を変え、国家の危機管理組織として成長を遂げています。しかし、NICSstake holdersとして、警察庁、防衛省、総務省、外務省、経産省など多数の組織が関わり、予算立ても各々によって別立てです。こうした仕組みでは、どこが責任母体なのか曖昧になり、効率性を欠くことになります。クリントン政権時代、初代FEMA Federal Emergency Management Agency:アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)長官を務めたジェームズ・ウイット氏は、講演で、我が国の危機管理体制について以下のように言及しています。「日本においては、多くの異なる省庁が異なる責任をもっているようである(中略)どこが総括的な計画をもっているのか、どうやって一緒に協力していくか、どうやって資源を調節するのか。中央のレベルから実際の地方のレベルまでどのように協力し、どうやって一定の資源から最大の効果を引き出すのか。資源は限定されており、いかにむだを省くかなど計画はあるのかがはっきりしない」サイバー攻撃対する対応についても、この言葉が当てはまるといってよいでしょう。国家の危機にあたっては、各省庁間の枠を取り払い、迅速かつ効率的、効果的な活動ができるようにすることが緊急の課題と言えます。
 最後の大きな問題はsecurity clearanceです。各国のサイバーセキュリティ対策はインテリジェンス(諜報機関)が主導で行われているため、政府、民間を問わず、秘密保持制度が整備されています。我が国にはインテリジェンス部門をどこが担当しているのか明らかになっていません。2010年の尖閣諸島に関する画像流出問題をうけて、特定機密の保護に関する法律を成立させました。しかし、今回の年金流出問題から、これほど重要な個人情報保護に関与している職員が、単なる国家公務員法違反のみによって処分されるだけで、刑法などには抵触することがないことからも、そのセキュリティクリアランスの認識が十分でなく、それ故法整備を含めた対策が、他の先進諸国と比して遅れをとっているのが現状ではないか、と思います。情報がその国の存亡を左右することから、今後抜本的な意識改革が求められる分野だと考えます。

 また、事件が起きた際、その状況を認識し、原因解明を行うととともに、その背景に関する想像力が必要です。今回の個人情報流出に関して、ある特定の国の関与が取りざたされています。その国の関与の有り無しは別にして、もしそうであった場合のその国や、周辺国の意図、今後の影響や再び同様の事件が起こらないか、などの討議が徹底化されるべきであると考えます。この部分が我が国のもっとも弱いところであり、力を注ぐことが重要でしょう。

2015年6月11日

MERSウイルス感染症、韓国流行をうけて(2)

韓国の医療機関で発生しているMERSコロナウイルス感染症を巡って、台湾が韓国への渡航制限を打ち出しました。
こうした中、日本でも、韓国への渡航が縮小してきているとのことです。こうした措置が感染拡大をどの程度防げるのかは、定かではありません。それは、渡航制限や国境閉鎖などに代表される、所謂水際作戦によって、完全に封じ込められた感染症は、今までに存在しないからです。特に口や鼻からウイルスが入ることによって感染する、呼吸器感染症に関しては、こうした封じ込めが効果を示すという根拠は、その感染形式からも考えにくいのです。

14世紀から15世にかけて猛威を振るったペスト流行の際、ヨーロッパの国々は、流行地から来た船を40日間停めおきました。これが検疫(Quarantine)の語源となっています。しかし、結果的にペストから免れた国はありませんでした。また、呼吸器感染症として多くの命の奪ったスペイン風邪(インフルエンザ)に対しても、輸送機関の停止、国境閉鎖、集会の禁止などが行われましたが、その効果に関しては定かではありません。

感染症には潜伏期間という、無症状の時期があり、多くの感染症はその無症状期にも、他の人に感染します。ですので、どんなに国境(空港)でシャットアウトしようとしても、すり抜ける人は出てきます。実際、2009年の新型インフルエンザ(当時)流行の際も、他省庁、国立病院の医師などを巻き込んだ検疫強化が実施されました。しかし、初発例は国内で見つかった高校生でした。

検疫に代表される水際作戦の基本は、“国内にウイルスが侵入することを食い止める”ことです。このこと自体、極めて困難なことが、前述した歴史が物語っています。今2009年のインフルエンザ流行時、また今回の韓国におけるMERS流行に際しても、WHO(世界保健機関)は渡航制限などをかけてはいません。それは、水際作戦には限界があるとともに、海外封鎖を行うことは、人の流れを止め、経済活動に大きな影響を与えるからです。

我が国には感染症に係る法律が2つあります。それはすなわち、検疫法と感染症法です。検疫法に従って検疫強化がされますが、ひとたび国内発生が認められれば、感染症法が主流となり、実働は国から地方自治体に移ります。見方をかえれば、国内に入るまでは国家公務員である検疫官(厚労省職員)が主動であるため、国としては力を注ぎますが、国内に入れば検疫法は適応されないため、実働は国家公務員ではなく地方公務員や、医療機関になります。この状況では、国は通知文書などで、地方自治体に指導することが主な仕事となり、自ら防護服に身を包んで動き回る、という事もしなくなります。

この2つの感染症にかかる法律の棲み分けが、大きな問題となっています。すなわち、国は自らが活動する場面である”水際対策“に力を注ぐあまり、国内対応に対する関与が極めて希薄になっているのです。国内で発生した場合は、その地方自治体、ひいては患者が収容された医療機関が責任の受け皿となります。

MERSコロナウイルス感染症は、感染症法で、第2類感染症に分類されています。法律上は、特定感染症指定医療機関、第一種感染症指定医療機関の他、第二種感染症指定医療機関でも入院して診ることができます。

第一種と第二種指定医療機関の大きな違いは、空気感染を想定するかしないかです。すなわち、第一種(特殊も含む)感染症指定医療機関には陰圧設備があり、ウイルスに汚染した空気が外にでないようになっていますが、第二種感染症指定医療機関で、このような空調設備は必要とされていません。第二種感染症指定医療機関の総ベッド数は1716床(335医療機関)ですが、そのうち陰圧設備を備えているのは529床というデータがあります。

MERSコロナウイルスは2類感染症に分類されているため、第二種指定感染症指定医療機関に収容可能です。もし、MERS感染者が陰圧室のない医療機関を受診したとしたら、ウイルスで汚染した空気が院内に循環する確率が(第一種指定医療機関と比して)高くなることは想像に難くありません。第二種指定医療機関には感染症の患者さんだけが入院しているわけではなく、がんなどで免疫能が低下した人が多くいます。それ故、このような医療機関にMERS感染症を受け入れることは、法律上は問題なくとも、医療上大きな問題をはらんでいることになります。

全国には17万以上の医療機関があり、感染症指定医療機関と言われるのは、この中のごく一部にすぎません。また、医療機関ごとに、MERSや感染症に関する意識もまちまちです。韓国の症例でも明らかになったように、MERS感染者は、「自分はMERSに罹っている」と申告して医療機関を受診するわけではありません。風邪、インフルエンザに似た症状を示すことから、個々の医療機関が、自分のところにMERS患者が来るかもしれないという意識を持つことが、院内感染に対する重要な予防手段だと思います。また、そうした意識の定着と、この新たな感染症に対する知識を広げるために、国、地方自治体、学会など、医療機関に向けた徹底的な啓発活動が、何よりも早急に行わなければならないことだと思います。


繰り返しますが、検疫による水際食い止めに力を注ぐあまり、国内対応がおろそかになることは絶対に避けなければなりません。国は国家国民を守る使命があることを、再確認することが必要です。