ハロウィンは古代ケルト人が、夏の終わり(Samhain)の前日に、悪霊を祓うための儀式から来ているという説があります。日本ではあまりなじみのない、クリスチャンのお祭りですが、この頃はハロウィンの文字を、街中でも多く見かけるようになりました。
私にとって、ハロウィンは様々な思い出があります。小さな娘たちとトラックの荷台に揺られて、大きなカボチャを取りにいって、Jack-o'-Lanternを作ったり、trick or treatの準備をしたりです。また、アメリカではこの時期からThanksgivingにかけて、パーティが多くなり、友達や恩師から招き招かれ、公(?)私共に忙しくなってきます。
こうした思い出はどれも大切ですが、その中で忘れられないのが、恩師、Dr.George W.Comstockの事です。Dr.Comstockは、医師であり20世紀を代表する疫学者です。http://en.wikipedia.org/wiki/George_W._Comstock
当時世界で猛威をふるっていた結核に対して、何らかの対策をとることがどの国にも必要であり、アメリカ合衆国も例外ではありませんでした。そこでWHOが推し進めていたBCGワクチンに関する有効性を調べるために、大がかりな疫学研究チームが立ち上がりました。それを率いたのがDr.Comsctokで、彼らの出した結論は、「BCGの(結核予防に対する)有効性は曖昧である」というものでした。この結果をうけ、アメリカはBCGを導入しませんでした。
同時に、結核治療に使う薬の一つであるINHを使うことによって、「結核の発病を90%以上の確率で予防することが出来る」という研究結果を出しました。アメリカ合衆国は、Comstockらの考えを取り入れた結核政策を取り入れ、世界で最も低い、罹患率を達成しました。現在でもその状況は変わりありません。
がん、脳血管障害、虚血性心疾患などの大規模コホート調査にも精力的に関わり、数多くの論文を発表し、世界で最も権威あるThe American journal of epidemiologyの編集責任者を長くつとめました。
文字通り、世界を代表する大学者でしたが、それだけでなく、すぐれた教育者でした。
私がDr.Comstockと初めてあったのは、Johns Hopkins University School of Public Health(現在のJHU Bloomberg School of Public Health)の授業でした。通称Epi-4と呼ばれる授業で、ラボと呼ばれるグループ討議を行う中、Comstock教授は、facilitatorの一人でした。
背が高く、"つんつるてんのジャケット型白衣にネクタイ(+スニーカー)"が彼のトレードマークでした。
「見てみなよ。彼をしってるかい?GW Comstockだ!とても偉い有名な先生だよ!彼に直接教えを受けられるなんて、僕たちはラッキーだ!」同じグループにいた、シンガポール人の眼科医が囁きました。
この後、私はDr.Comstockの元で研究し、家族同様のつきあいをするようになるとは夢にも思いませんでした。
ハロウィン当日、彼はラボに居る生徒一人ずつに、小さなハーシーチョコレートを手渡しました。ただのチョコレートかと思いきや、その内の何個か(確か10人に1人の確率)には当たりがあり、引いた人は、小さなプレゼントが貰えると言うことでした。当たりを示す紙はなんと、チョコレートの中に入っていました。
しずく型をしたチョコレートを薄いカッターで切り、その中に当たりの紙を入れ、また元通りに戻す、という細かい作業を彼は行ったのです。クラスには100人以上が居ましたから、少なくともこの細かい作業を10コ以上は行ったわけです。
誰の目にも継ぎ目は全く分からず、銀の包装紙の包みも、一度開けたと気がつく者もいませんでした。
どうして、世界の大教授がこんな手のかかる作業を生徒のためにしてくれるのか、私にとっては驚きでした。そうすると、彼はこう答えました。
「何人かは特別なプレゼントを貰えてラッキーだ。けれど全員少なくともチョコレート一つはプレゼントとして貰えるじゃないか。小さなものだけど、少しばかりみんなハッピーになれる。たいしたお金もかからないしね」
そうウインクして見せた老教授は、生徒のどんな小さな、基礎的な質問に対しても丁寧に答えてくれました。自分で確信できないところがあれば、自ら、自分より遙かに年下の担当教官に確認に行くことも厭いませんでした。
Dr.Comsctockは2007年、92歳で前立腺がんの全身転移のためにこの世を去りました。最期までモルヒネを拒み(思考力が低下するため)、彼に見て欲しいという論文に目を通しながらこの世を去りました。
彼は、Johns Hopkins大学の一教授であることを貫きました。大学院院長のポストも、疫学部長の座でさえも断り続けました。それは、「生徒に教える時間がなくなるから」でした。
教育とは、時代や国籍を超えて引き継がれる大きな力です。
彼が良く言っていた、“Most of us aren't going to win any big victories, but we can win little ones every day, and they mount up.”という言葉は、まさに彼自身がなしえた事です。
ハロウィンを迎えるたび、Dr.Comstockの姿を思い出し、彼のpupilであることを誇りに思います。
そして、これからは、私自身が彼から受け継いだものを、次世代につないでゆく大きな役割を担っていることを、改めて心に刻むのです。
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宜しければご感想等を
私にとって、ハロウィンは様々な思い出があります。小さな娘たちとトラックの荷台に揺られて、大きなカボチャを取りにいって、Jack-o'-Lanternを作ったり、trick or treatの準備をしたりです。また、アメリカではこの時期からThanksgivingにかけて、パーティが多くなり、友達や恩師から招き招かれ、公(?)私共に忙しくなってきます。
こうした思い出はどれも大切ですが、その中で忘れられないのが、恩師、Dr.George W.Comstockの事です。Dr.Comstockは、医師であり20世紀を代表する疫学者です。http://en.wikipedia.org/wiki/George_W._Comstock
当時世界で猛威をふるっていた結核に対して、何らかの対策をとることがどの国にも必要であり、アメリカ合衆国も例外ではありませんでした。そこでWHOが推し進めていたBCGワクチンに関する有効性を調べるために、大がかりな疫学研究チームが立ち上がりました。それを率いたのがDr.Comsctokで、彼らの出した結論は、「BCGの(結核予防に対する)有効性は曖昧である」というものでした。この結果をうけ、アメリカはBCGを導入しませんでした。
同時に、結核治療に使う薬の一つであるINHを使うことによって、「結核の発病を90%以上の確率で予防することが出来る」という研究結果を出しました。アメリカ合衆国は、Comstockらの考えを取り入れた結核政策を取り入れ、世界で最も低い、罹患率を達成しました。現在でもその状況は変わりありません。
がん、脳血管障害、虚血性心疾患などの大規模コホート調査にも精力的に関わり、数多くの論文を発表し、世界で最も権威あるThe American journal of epidemiologyの編集責任者を長くつとめました。
文字通り、世界を代表する大学者でしたが、それだけでなく、すぐれた教育者でした。
私がDr.Comstockと初めてあったのは、Johns Hopkins University School of Public Health(現在のJHU Bloomberg School of Public Health)の授業でした。通称Epi-4と呼ばれる授業で、ラボと呼ばれるグループ討議を行う中、Comstock教授は、facilitatorの一人でした。
背が高く、"つんつるてんのジャケット型白衣にネクタイ(+スニーカー)"が彼のトレードマークでした。
「見てみなよ。彼をしってるかい?GW Comstockだ!とても偉い有名な先生だよ!彼に直接教えを受けられるなんて、僕たちはラッキーだ!」同じグループにいた、シンガポール人の眼科医が囁きました。
この後、私はDr.Comstockの元で研究し、家族同様のつきあいをするようになるとは夢にも思いませんでした。
ハロウィン当日、彼はラボに居る生徒一人ずつに、小さなハーシーチョコレートを手渡しました。ただのチョコレートかと思いきや、その内の何個か(確か10人に1人の確率)には当たりがあり、引いた人は、小さなプレゼントが貰えると言うことでした。当たりを示す紙はなんと、チョコレートの中に入っていました。
しずく型をしたチョコレートを薄いカッターで切り、その中に当たりの紙を入れ、また元通りに戻す、という細かい作業を彼は行ったのです。クラスには100人以上が居ましたから、少なくともこの細かい作業を10コ以上は行ったわけです。
誰の目にも継ぎ目は全く分からず、銀の包装紙の包みも、一度開けたと気がつく者もいませんでした。
どうして、世界の大教授がこんな手のかかる作業を生徒のためにしてくれるのか、私にとっては驚きでした。そうすると、彼はこう答えました。
「何人かは特別なプレゼントを貰えてラッキーだ。けれど全員少なくともチョコレート一つはプレゼントとして貰えるじゃないか。小さなものだけど、少しばかりみんなハッピーになれる。たいしたお金もかからないしね」
そうウインクして見せた老教授は、生徒のどんな小さな、基礎的な質問に対しても丁寧に答えてくれました。自分で確信できないところがあれば、自ら、自分より遙かに年下の担当教官に確認に行くことも厭いませんでした。
Dr.Comsctockは2007年、92歳で前立腺がんの全身転移のためにこの世を去りました。最期までモルヒネを拒み(思考力が低下するため)、彼に見て欲しいという論文に目を通しながらこの世を去りました。
彼は、Johns Hopkins大学の一教授であることを貫きました。大学院院長のポストも、疫学部長の座でさえも断り続けました。それは、「生徒に教える時間がなくなるから」でした。
教育とは、時代や国籍を超えて引き継がれる大きな力です。
彼が良く言っていた、“Most of us aren't going to win any big victories, but we can win little ones every day, and they mount up.”という言葉は、まさに彼自身がなしえた事です。
ハロウィンを迎えるたび、Dr.Comstockの姿を思い出し、彼のpupilであることを誇りに思います。
そして、これからは、私自身が彼から受け継いだものを、次世代につないでゆく大きな役割を担っていることを、改めて心に刻むのです。
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