2015年4月17日

BSL稼働と感染症危機管理

本稿は、大阪保険医雑誌2015年4月号に掲載された、「危機管理としての感染症」に、加筆・修正したものです。


 危険性の高い病原体を扱うBSL4施設の稼働に関して、現在様々な議論が沸き起こっている。本稿では、BSL4施設の問題を例にとって、我が国の感染症危機管理における現状について論じてみたい。4月10日付けの読売新聞ならびに東京新聞では、地域自治体住民がその稼働を巡って、武蔵村山市長に要望書を提出した記事が掲載された。内容は、「BSL4は住民に何の説明もなく設置され、立川断層の至近距離に位置する。事故や大地震、テロなどで治療法のない病原体が漏れない補償などない」として稼働を反対するものである。
BSL4は、エボラウイルス、天然痘ウイルスなどの、危険性の高い病原体を遺伝子レベルで解析する際に必要な施設である。現在我が国には2つのBSL4施設がある。国立感染症研究所の村山庁舎と、つくば市にある、理化学研究所バイオリソースセンターである。ところが、我が国ではその施設が、住民などの反対によって、稼働していない。このため日本学術会議は、すみやかにBSL4施設を稼働させるよう、平成263月に提言書を出している。
 こうした状況下で起こったのが、2014年のエボラウイルス疾患大流行である。エボラウイルス感染症の流行は、過去も起こっていたものの、今回は空前の大流行が起こった。ようやく新規患者数発生は減少してきたものの、WHOの経済難もあり、西アフリカに於いては未だ流行の収束をみていない。エボラウイルスは1976年、ザイールのエボラ川で発見された。発見当時、ザイールとスーダンで430人が死亡しており、少し前に発見されたマールブルグウイルスと同様、発見された土地の名前をとって、”エボラ“ウイルスと命名された。
エボラウイルスもマールブルグウイルスも、それまで見出されていたウイルスとは違った、新種のウイルスで、フィロウイルスという新しいウイルスのグループとして分類された。
ウイルスによって生成される糖タンパクが細胞壁の細胞に癒着し、血管透過性を亢進させることによって出血が起きる。重症になれば、全身から出血が起こって死亡する。致死率は4090%と報告されている。かつて全世界中が恐れた天然痘の致死率が30%程度とされているので、如何に強力なウイルスかうかがい知ることができる。その威力から、発見された当時からバイオテロの研究者たちを魅了し続けてきたウイルスである。日本では、TV番組、“ブラッディマンデイ”のモデルとなった事から記憶している方も多いかもしれない。
 この驚異的なウイルス流行は、311日現在、24247人の患者が報告され、うち9961人が死亡している(致死率41.1%)。過去21日間に発生した新規患者数は350人であり昨年1128日の2032人と比べると大きく減少している。しかし、新規患者発生が西アフリカの貧しい諸国であり、疾病に対する意識も含めて問題が大きい地域であることから、制圧に向けては、不安定な因子が多く存在している。
 今回のエボラ疾患大流行が大きな社会的関心を引いたのは、その数だけではない。今までこの疾患発生がなかった先進諸国にも飛び火したからである。アメリカ合衆国では4人の患者が出て、うち1人が死亡している。スペインでも死亡例はないものの、1人が発生している。我が国でも複数の疑い例が散見されている。


 感染症と人類の関係は四大文明にさかのぼる。エジプトのミイラから天然痘ウイルスや結核菌が発見されていることらも、その付き合いの長さを窺うことができる。かつての感染症は、予防法も治療法も確立されておらず、不治の病とみなされてきた。それが、衛生状態、栄養状態の改善、また、抗生剤などの治療薬の発見によって制圧されていった。現在、先進諸国においては、「感染症は過去の病気」という認識が一般的であろう。ところが、既に昔のものとなった感染症が、新たなる脅威として私たちの前に立ちはだかっている。こうした感染症の脅威には2つの種類がある。一つには、HIV/AIDSMERSに代表される新しい感染症の出現、そして二つ目は、既に制圧された感染症が、生物兵器として使われる可能性が出てきたことである。こうした感染症をとりまく状況に関して、WHO”Health Security“という言葉を使い始めた。この言葉から読み取れることは、「健康に関する事象はもはや安全ではない」という事に他ならない。
 繰り返しになるが、今回のエボラ流行は、感染症の脅威が既に過去のものとなっている私たちにとって、遠いアフリカでの出来事が身近な危機となる可能性を、まざまざと示した事例であったといってよい。


 これに対して、BSL4稼働が出来ていないというのはどういう事だろうか。ウイルス疾患に関しての確定診断は、遺伝子レベルでの解析が必要となる。ところが、それはBSL4でしか許されていない。また、ワクチンや治療薬の開発には、遺伝子操作が必要である。BSL4が動かないという事は、我が国ではこれらの事が出来ないという事である。世界を見てみれば、先進諸国のみならず、中国や南アフリカでもBSL4を稼働させており、韓国も稼働を急いでいるという情報もある。我が国では、エボラウイルスなどの遺伝子レベルでの取り扱いが実質的に不可能であることから、研究者らは、アメリカ合衆国にわたって研究を続けてきた。しかし、9.11後、テロに対するセキュリティ強化の一環として、外国人がこうした危険な病原体を扱う事に対して制限がかけられたため、日本人研究者は難儀しているというのが現状である。
 我が国は世界最初のバイオテロが行われた国である。20年前、サリン事件を起こしたオウム真理教が、成功しなかったものの、炭そ菌、ボツリヌス菌などの病原体を撒いていた事実は、世界を驚愕させた。そして、米国CDCはじめとする世界各国、またWHOではバイオテロ専門部門を設立したのである。前述した、Health Securityという言葉は、まさにオウム真理教のバイオテロを発端に使われ始めたといってよい。ところが、当の日本はといえば、海外諸国と比べて、バイオテロに対する敏感度が極めて低いといってよい。それはBSL4稼働がされていないという事実からも明らかである。
 国のあまりにゆっくりとした動きに業を煮やした日本医師会も、311日、BSL4の早期稼働を求める声明文を出している。今のところ4月には、感染研村山庁舎の施設が稼働することになっている。ところが、今になって、この施設の問題が明らかになってきている。それは、周囲環境、施設のキャパシティ、そしてすぐ近くを走る活断層の3つである。これらの問題をうけて、稼働に関する要請文も出されている。


 国立感染研・村山庁舎の歴史は古く、1961年の予防衛生研究所分室時代にさかのぼる。1981年建設のBSL4施設(現行稼働はBSL3)が設置された時は市民・市議会が激しい反対運動を展開し、以来、武蔵村山市は厚生労働大臣に、村山庁舎BSL4施設稼働停止状態の継続と、施設の移転についての要望を申し入れ、国もBSL3稼働にとどめていたという経緯がある。ところが、昨年11月、塩崎厚労大臣が武蔵村山市を訪問する異例の事態で状況が一転することになった。エボラウイルス疾患などに対応するため、BSL4施設としてつくられた村山庁舎の施設を、本来のレベルとして稼働させるという国の方針である。
 私は前述したとおり、BSL4施設の稼働は速やかに行われるべきであると考えている。しかしながら、数々の問題点が指摘されている村山庁舎が最適な施設であるか、考察してみたい。
まず地理的条件である。予防衛生研究所分室時代は周りに人家も少なく、サナトリウムがあった地域であったが、現在は住宅、小学校、小児療育病院、特別支援学校、特養老人ホームなどが隣接する住宅地である。海外でも住宅地にBSL4施設がある例がないとは言えないが、危険度の高いウイルスを扱う施設の周囲環境としては、最適とは言えない。また、BSL4施設の主な目的のひとつは、患者からの検体を同定することにあるので、当然患者を収容する医療設備が必要になる。施設の周辺には、特定感染症や第一種感染症疾患のケアをするのに必要な設備を備えた医療機関はない。特定感染症指定医療機関である、独立行政法人国立国際医療研究センターからの距離は約31Kmあり、交通事情を鑑みれば、一時間以上、一般道路を、バイオテロの兵器候補が輸送されることになる。この検体を運ぶのは検疫所や保健所の職員で、テロに対する訓練を受けた特殊な人材ではない。
次に、施設自体の問題である。村山庁舎は敷地自体が狭く、BSL4レベルを維持する、何層もの安全設備を構築するのは難しい。BSL4施設にはグローブボックス型とセーフティキャビネット型実験室の2つの種類がある。グローブボックス型はセーフティキャビネットに備え付けられたグローブで操作するタイプで、操作の自由度が限定されるという問題点がある。操作が自由に行えないことによって、針刺し事故などが起こりやすくなる。実際、過去アメリカ合衆国のグローブ型施設で、古い報告ではあるが、423件の実験室感染が報告されている(Hutton,1978)。他方、スーツ型では、実験室が宇宙服型の陽圧機密防護服を装着しているため、前面開放型のセーフティキャビネットで比較的自由に実験操作が可能となる。それ故、近年新設されているBSL4施設は殆どがスーツ型実験室である。
エボラウイルスではないが、同じ出血熱ウイルスであるマールブルグウイルスによる針刺し事例については、生々しい描写がされている。旧ソ連生物兵器製造組織(バイオプレパラート)の最高責任を務め、アメリカに亡命したケン・アリベック氏が、その著書「BioHazard(邦訳:生物兵器<二見書房>)の中で赤裸々に記述している。小さな針の一刺しによって、全身から出血しながら亡くなった実験者の例は、ウイルスの凄まじさをまざまざと示している。こうした危険度の高いウイルスを扱うのであるから、ヒューマンエラーを極力減らす努力をするのは当然のことであり、物理的にも安全な設備装置が難しい村山庁舎は、この点からも検討の余地がある。
それから、活断層に関しても指摘されている。武蔵村山市は東京府中市から走る長さ約30kmの東京で唯一の活断層、「立川活断層」の直下に位置する。村山庁舎はこの活断層から1.1kmに位置しているため、M7.4クラスの地震が起こった場合、その物理的被害は大きい。
以上、村山庁舎のBSL4施設としての問題点を列挙してきたが、当初から繰り返しているように、BSL4施設稼働は早急に行わなければならない。それ故、当座感染研村山庁舎をBSL4施設として稼働する事は止むを得ないだろう。しかし、当該施設は様々な因子を考慮して、最適な場所に建設すべきである。米軍の基地移転に関してもその選定に10年以上を要していることから、真に最適なBSL4建設用地についての選定は急務である。

最後に、これまでの議論をとおして、我が国の感染症危機管理に関して述べてみたい。BSL4施設の問題は、それに特化したものではない。すまわち、我が国の感染症に対する姿勢を示した一例である。ここから見えてくるものは、決して十分な対応がされていない現状であろう。前述したとおり、今後感染症の脅威は少なくなることは考えにくい。その中で、日本は感染症危機管理に対して脆弱である事を理解することが、まずは対策の一歩であろう。感染症対策は、健康・医療だけの問題にとどまらない。Health Securityという言葉の示す通り、国家の危機として、多極的な対応が求められる。