2015年6月9日

MERSウイルス感染症、韓国流行をうけて

MERS(Middle East Respiratory Syndrome Corona-virus:中東呼吸器症候群が韓国の医療機関で流行しています。
あまり聞きなれない名前ですが、2012年にサウジアラビアで初めてみつかった、新しいウイルスで、2002年から2003年に流行したSARS(重症呼吸器症候群)と同じ、コロナウイルスというグループに属します。

2012年から2013年には、中東を中心に、世界で流行しました。その際、中東からの滞在者からの感染がほとんどでした。ラクダの感染症と考えられていましたが、2013年にフランスとイギリスでの症例については、限局的なヒトヒト感染によると報告されています。ヒト、ラクダの他、ブタ、コウモリなどでも感染が確認されていますが、何分新しいウイルスですので、不明なところも多いのが現状です。MERS ウイルスの生体外での安定性については、低温で低湿度の場合、48時間程、安定性(生存性)が持続するとの報告があります。http://www.eurosurveillance.org/images/dynamic/EE/V18N38/art20590.pdf

典型的なMERSの症状は、発熱、咳で、下痢などの消化器症状もみられます。重症化すると、肺炎、敗血症、臓器不全(特に腎不全)などを併発し、命を落とすこともあります。乳幼児、高齢者、また、糖尿病、慢性肺疾患、がんなどで免疫能が落ちている人は重症化しやすいので、注意が必要です。WHOによれば致死率は27%程度ということです。

前述したとおり、2012年に発見された新しいウイルスですが、今までの知見に関してまとめてみたいと思います。

もともと、通常のコロナウイルスは、決して人に感染しやすいウイルスではありません。
それはMERSウイルスに関しても同様です。しかし、今回の韓国の例からわかるように、医療機関内では、ヒトからヒトへの感染が、一般集団と比して起こりやすいことはあきらかです。それは、医療施設内には免疫能が落ちた患者さんがいるからで、こうした状態の人は容易にウイルスのターゲットになりやすいからです。過去の報告でも、 一部の小児肺炎ではその原因ウイルスになっているとされており、乳幼児についての注意喚起も必要なところです。

それでは、同じコロナウイルスであるSARS とは、広がりやすさ、重症化しやすさにおいて、異なっているのでしょうか。2002年~2003年のSARS流行から、風邪症候群を引き起こすウイルスと同じように飛まつ感染という形式で広がりを見せることがわかりました。飛まつ感染とは、咳やくしゃみなどの”しぶき“内にあるウイルスが、他人の口や鼻の粘膜から入り込み、ウイルスが増殖をはじめることです。この感染症式に関しては、MERSウイルスもSARSウイルスも同じです。重症化のしやすさを示す一つの指標である致死率は、SARSが9.4%と報告されていますので、MERS の方が現状では高いことになります。
MERSは、ヒト、ブタそしてコウモリ等の間で、種を超えて容易に感染することが明らかにされており、SARSのコロナウイルスが、流行時にすでにコウモリに対する感染力を失っていたことと比較し、この点で大きな違いがあります。何を意味するかというと、仮にヒトでの流行が収束した後でも、他の動物の間で感染が受け継がれ、数年を経て、再度、ヒトに感染する可能性があるということです。

それでは、ヒトへの広がりやすさはどうでしょうか。
医学雑誌The Lancetの2014年1月号に掲載された論文では、MERS ウイルスが、患者1人が感染させる強さ(Reproductive number、Ro)は、0.8~1.3価の範囲内であり、1価(1人の患者が、別の1人に感染させる力価)を大きく上回ることはないと結論付けて、感染力がそれ程強くないと評価していました。この値はSARSもほぼ同様と報告されています。

しかし、2014年12月に発表された論文では、Roについて、もう少し高めの評価となっており、致死率も考慮すると、SARSウイルスに匹敵するか、もしくは、それ以上広がりと重症化を想定する必要があると結論されています。


また、MERSの場合の感染拡大の場としては、今回の韓国での流行と同様、医療機関での患者との接触、医療従事者を介した感染というのが、今までの例でも指摘されています。それ故、我が国でも、医療機関での感染拡大に関して、十分に備える必要があります。

現状の対策下では、検疫所による水際強化が主ですが、以上の知見を見る限り、国内発生に備えて、医療機関に対する注意喚起の徹底など、国内体制の構築を早急に進める必要がある事を、痛切に感じます。

2015年4月17日

BSL稼働と感染症危機管理

本稿は、大阪保険医雑誌2015年4月号に掲載された、「危機管理としての感染症」に、加筆・修正したものです。


 危険性の高い病原体を扱うBSL4施設の稼働に関して、現在様々な議論が沸き起こっている。本稿では、BSL4施設の問題を例にとって、我が国の感染症危機管理における現状について論じてみたい。4月10日付けの読売新聞ならびに東京新聞では、地域自治体住民がその稼働を巡って、武蔵村山市長に要望書を提出した記事が掲載された。内容は、「BSL4は住民に何の説明もなく設置され、立川断層の至近距離に位置する。事故や大地震、テロなどで治療法のない病原体が漏れない補償などない」として稼働を反対するものである。
BSL4は、エボラウイルス、天然痘ウイルスなどの、危険性の高い病原体を遺伝子レベルで解析する際に必要な施設である。現在我が国には2つのBSL4施設がある。国立感染症研究所の村山庁舎と、つくば市にある、理化学研究所バイオリソースセンターである。ところが、我が国ではその施設が、住民などの反対によって、稼働していない。このため日本学術会議は、すみやかにBSL4施設を稼働させるよう、平成263月に提言書を出している。
 こうした状況下で起こったのが、2014年のエボラウイルス疾患大流行である。エボラウイルス感染症の流行は、過去も起こっていたものの、今回は空前の大流行が起こった。ようやく新規患者数発生は減少してきたものの、WHOの経済難もあり、西アフリカに於いては未だ流行の収束をみていない。エボラウイルスは1976年、ザイールのエボラ川で発見された。発見当時、ザイールとスーダンで430人が死亡しており、少し前に発見されたマールブルグウイルスと同様、発見された土地の名前をとって、”エボラ“ウイルスと命名された。
エボラウイルスもマールブルグウイルスも、それまで見出されていたウイルスとは違った、新種のウイルスで、フィロウイルスという新しいウイルスのグループとして分類された。
ウイルスによって生成される糖タンパクが細胞壁の細胞に癒着し、血管透過性を亢進させることによって出血が起きる。重症になれば、全身から出血が起こって死亡する。致死率は4090%と報告されている。かつて全世界中が恐れた天然痘の致死率が30%程度とされているので、如何に強力なウイルスかうかがい知ることができる。その威力から、発見された当時からバイオテロの研究者たちを魅了し続けてきたウイルスである。日本では、TV番組、“ブラッディマンデイ”のモデルとなった事から記憶している方も多いかもしれない。
 この驚異的なウイルス流行は、311日現在、24247人の患者が報告され、うち9961人が死亡している(致死率41.1%)。過去21日間に発生した新規患者数は350人であり昨年1128日の2032人と比べると大きく減少している。しかし、新規患者発生が西アフリカの貧しい諸国であり、疾病に対する意識も含めて問題が大きい地域であることから、制圧に向けては、不安定な因子が多く存在している。
 今回のエボラ疾患大流行が大きな社会的関心を引いたのは、その数だけではない。今までこの疾患発生がなかった先進諸国にも飛び火したからである。アメリカ合衆国では4人の患者が出て、うち1人が死亡している。スペインでも死亡例はないものの、1人が発生している。我が国でも複数の疑い例が散見されている。


 感染症と人類の関係は四大文明にさかのぼる。エジプトのミイラから天然痘ウイルスや結核菌が発見されていることらも、その付き合いの長さを窺うことができる。かつての感染症は、予防法も治療法も確立されておらず、不治の病とみなされてきた。それが、衛生状態、栄養状態の改善、また、抗生剤などの治療薬の発見によって制圧されていった。現在、先進諸国においては、「感染症は過去の病気」という認識が一般的であろう。ところが、既に昔のものとなった感染症が、新たなる脅威として私たちの前に立ちはだかっている。こうした感染症の脅威には2つの種類がある。一つには、HIV/AIDSMERSに代表される新しい感染症の出現、そして二つ目は、既に制圧された感染症が、生物兵器として使われる可能性が出てきたことである。こうした感染症をとりまく状況に関して、WHO”Health Security“という言葉を使い始めた。この言葉から読み取れることは、「健康に関する事象はもはや安全ではない」という事に他ならない。
 繰り返しになるが、今回のエボラ流行は、感染症の脅威が既に過去のものとなっている私たちにとって、遠いアフリカでの出来事が身近な危機となる可能性を、まざまざと示した事例であったといってよい。


 これに対して、BSL4稼働が出来ていないというのはどういう事だろうか。ウイルス疾患に関しての確定診断は、遺伝子レベルでの解析が必要となる。ところが、それはBSL4でしか許されていない。また、ワクチンや治療薬の開発には、遺伝子操作が必要である。BSL4が動かないという事は、我が国ではこれらの事が出来ないという事である。世界を見てみれば、先進諸国のみならず、中国や南アフリカでもBSL4を稼働させており、韓国も稼働を急いでいるという情報もある。我が国では、エボラウイルスなどの遺伝子レベルでの取り扱いが実質的に不可能であることから、研究者らは、アメリカ合衆国にわたって研究を続けてきた。しかし、9.11後、テロに対するセキュリティ強化の一環として、外国人がこうした危険な病原体を扱う事に対して制限がかけられたため、日本人研究者は難儀しているというのが現状である。
 我が国は世界最初のバイオテロが行われた国である。20年前、サリン事件を起こしたオウム真理教が、成功しなかったものの、炭そ菌、ボツリヌス菌などの病原体を撒いていた事実は、世界を驚愕させた。そして、米国CDCはじめとする世界各国、またWHOではバイオテロ専門部門を設立したのである。前述した、Health Securityという言葉は、まさにオウム真理教のバイオテロを発端に使われ始めたといってよい。ところが、当の日本はといえば、海外諸国と比べて、バイオテロに対する敏感度が極めて低いといってよい。それはBSL4稼働がされていないという事実からも明らかである。
 国のあまりにゆっくりとした動きに業を煮やした日本医師会も、311日、BSL4の早期稼働を求める声明文を出している。今のところ4月には、感染研村山庁舎の施設が稼働することになっている。ところが、今になって、この施設の問題が明らかになってきている。それは、周囲環境、施設のキャパシティ、そしてすぐ近くを走る活断層の3つである。これらの問題をうけて、稼働に関する要請文も出されている。


 国立感染研・村山庁舎の歴史は古く、1961年の予防衛生研究所分室時代にさかのぼる。1981年建設のBSL4施設(現行稼働はBSL3)が設置された時は市民・市議会が激しい反対運動を展開し、以来、武蔵村山市は厚生労働大臣に、村山庁舎BSL4施設稼働停止状態の継続と、施設の移転についての要望を申し入れ、国もBSL3稼働にとどめていたという経緯がある。ところが、昨年11月、塩崎厚労大臣が武蔵村山市を訪問する異例の事態で状況が一転することになった。エボラウイルス疾患などに対応するため、BSL4施設としてつくられた村山庁舎の施設を、本来のレベルとして稼働させるという国の方針である。
 私は前述したとおり、BSL4施設の稼働は速やかに行われるべきであると考えている。しかしながら、数々の問題点が指摘されている村山庁舎が最適な施設であるか、考察してみたい。
まず地理的条件である。予防衛生研究所分室時代は周りに人家も少なく、サナトリウムがあった地域であったが、現在は住宅、小学校、小児療育病院、特別支援学校、特養老人ホームなどが隣接する住宅地である。海外でも住宅地にBSL4施設がある例がないとは言えないが、危険度の高いウイルスを扱う施設の周囲環境としては、最適とは言えない。また、BSL4施設の主な目的のひとつは、患者からの検体を同定することにあるので、当然患者を収容する医療設備が必要になる。施設の周辺には、特定感染症や第一種感染症疾患のケアをするのに必要な設備を備えた医療機関はない。特定感染症指定医療機関である、独立行政法人国立国際医療研究センターからの距離は約31Kmあり、交通事情を鑑みれば、一時間以上、一般道路を、バイオテロの兵器候補が輸送されることになる。この検体を運ぶのは検疫所や保健所の職員で、テロに対する訓練を受けた特殊な人材ではない。
次に、施設自体の問題である。村山庁舎は敷地自体が狭く、BSL4レベルを維持する、何層もの安全設備を構築するのは難しい。BSL4施設にはグローブボックス型とセーフティキャビネット型実験室の2つの種類がある。グローブボックス型はセーフティキャビネットに備え付けられたグローブで操作するタイプで、操作の自由度が限定されるという問題点がある。操作が自由に行えないことによって、針刺し事故などが起こりやすくなる。実際、過去アメリカ合衆国のグローブ型施設で、古い報告ではあるが、423件の実験室感染が報告されている(Hutton,1978)。他方、スーツ型では、実験室が宇宙服型の陽圧機密防護服を装着しているため、前面開放型のセーフティキャビネットで比較的自由に実験操作が可能となる。それ故、近年新設されているBSL4施設は殆どがスーツ型実験室である。
エボラウイルスではないが、同じ出血熱ウイルスであるマールブルグウイルスによる針刺し事例については、生々しい描写がされている。旧ソ連生物兵器製造組織(バイオプレパラート)の最高責任を務め、アメリカに亡命したケン・アリベック氏が、その著書「BioHazard(邦訳:生物兵器<二見書房>)の中で赤裸々に記述している。小さな針の一刺しによって、全身から出血しながら亡くなった実験者の例は、ウイルスの凄まじさをまざまざと示している。こうした危険度の高いウイルスを扱うのであるから、ヒューマンエラーを極力減らす努力をするのは当然のことであり、物理的にも安全な設備装置が難しい村山庁舎は、この点からも検討の余地がある。
それから、活断層に関しても指摘されている。武蔵村山市は東京府中市から走る長さ約30kmの東京で唯一の活断層、「立川活断層」の直下に位置する。村山庁舎はこの活断層から1.1kmに位置しているため、M7.4クラスの地震が起こった場合、その物理的被害は大きい。
以上、村山庁舎のBSL4施設としての問題点を列挙してきたが、当初から繰り返しているように、BSL4施設稼働は早急に行わなければならない。それ故、当座感染研村山庁舎をBSL4施設として稼働する事は止むを得ないだろう。しかし、当該施設は様々な因子を考慮して、最適な場所に建設すべきである。米軍の基地移転に関してもその選定に10年以上を要していることから、真に最適なBSL4建設用地についての選定は急務である。

最後に、これまでの議論をとおして、我が国の感染症危機管理に関して述べてみたい。BSL4施設の問題は、それに特化したものではない。すまわち、我が国の感染症に対する姿勢を示した一例である。ここから見えてくるものは、決して十分な対応がされていない現状であろう。前述したとおり、今後感染症の脅威は少なくなることは考えにくい。その中で、日本は感染症危機管理に対して脆弱である事を理解することが、まずは対策の一歩であろう。感染症対策は、健康・医療だけの問題にとどまらない。Health Securityという言葉の示す通り、国家の危機として、多極的な対応が求められる。

2014年11月25日

エボラ出血熱リスクと日本の危機管理体制 セミナー YouTubeアップのお知らせ

2014年11月19日に行われた「エボラ出血熱リスクと日本の危機管理体制 セミナー」の模様をYouTubeにアップしました。
ご覧ください。

http://youtu.be/cwmSiFF3izw

2014年11月20日

エボラ出血熱リスクと日本の危機管理体制セミナー   基調講演(平成26年11月19日 於:学士会館)

今日、お話ししようとしているエボラウイルス疾患(一般的にエボラ出血熱とよばれているので、以後そのように呼びます)は、一健康問題であるだけではなく、世界の危機と位置付けられています。そこで、我が国のエボラ対策の現状と問題点について、様々な角度から、議論をすることといたしました。48時間以内に世界中どこの国でも行けるダイナミズム、新興国の経済発展、気候変化などによって、今後感染症のリスクが減ることはないと言える現代で、今回の議論は必要不可欠なものだからです。本日お話しする大きなポイントは一つです。それは、我が国の感染症危機管理が十分に機能していないという事です。言葉を変えると、有事(緊急事態)と平時の体制の区別があいまいで、その結果、危機管理という概念が極めて希薄なシステムになってしまっているということです。

 まず、エボラ出血熱とはどのようなものか、という基本的なことについて説明させていただきます。対策を施すためにはまず、対象についてよく知るというのはとても重要だからです。エボラは、1976年、当時最悪の出血熱ウイルスと言われていた、マールブルグウイルスの発見から9年後、よく似たタイプのウイルスが、ザイールのエボラ川の流域で発見されました。これがエボラウイルスです。当時、ザイールとスーダンで430人が命を落としていました。これら2つのウイルス、マールブルグとエボラウイルスは、新しいタイプの病原体とみなされ、“フィロウイルス”と名付けられました。
 体の中に充満したウイルスによって炎症反応が起こり、発熱が起こります。また、体中の臓器をとかし(学術的には、ウイルスの生成する糖タンパクが、血管壁の細胞に癒着し、血管透過性を更新させる)、重症になれば全身から出血が起こります。ウイルスが体の中に入ってから、熱などの症状が出るまでに、2日から21日かかると言われています。発熱、頭痛などの症状を示す例が多く、インフルエンザなどとの鑑別が難しい病気です。その後、吐き気、発疹が出て、粘膜からの出血が出てきます。前に申し上げた通り、重症になると全身からの出血、多臓器不全が起こり、死に至ります。致死率は、50~90%(今回の流行ではWHO70%と報告)と言われていますが、開発途上国と先進国では、栄養状態、衛生状態、治療レベルなどが違うので、この数字が日本に当てはまるかどうかは不明です。ウイルスの感染経路として、空気感染、飛沫感染、接触感染があります。エボラウイルスは、直接患者に接触することによって、うつるとされていますが飛まつ感染の可能性も示唆されています。
元ソ連生物兵器製造組織最高責任者(バイオプレパラート)ケン・アリベック氏は、「ヒトとヒトとが直接接触しなくても感染させることが出来る」ウイルスだと、著書「バイオハザード(邦訳:生物兵器)」で記しています。今回の流行で、発病した妊婦がタクシーに乗るのを助けたことにより、感染したといわれているリベリア人の例からも、飛まつ感染 の可能性はゼロではないことがわかります。また、血液や体液を介してもうつるため、性交渉などで感染することもあります。バイオプレパラートでは、針刺し事故により少なくとも2人の研究者が死亡したとされています。
同じように血液と体液を介してうつる、HIV/AIDSと違い、性行為や針の使いまわしをするといった、特別な行動をしなくても感染するので、HIVウイルスと比べて感染力は強いといえます。また、体外に出ても寿命が長く、乾燥にも強いウイルスです。精液の中で数か月生存したという報告もあります。
このように、致死率が高いウイルスですが、アルコールや石鹸による消毒が可能です。また、次亜塩素酸も有効です。ファビピラビル (Favipiravir:商品名アビガン) はじめとする抗ウイルス薬が効果を示したという報告がありますが、現在までのところ、100%有効な治療薬、ワクチンを含む予防手段は確立されていません。
エボラ出血熱流行の現状に関してお話しします。1976年発見以降、23年刻みで流行が起きており、これまで一番大きな流行では、ウガンダで425人 の患者が出ています。2014年の流行は過去最大で、1114日現在、WHOの報告によれば、14098人の患者が出ており、5160人が死亡しています。報告された発生国は、ギニア、リベリア、シエラレオネ、マリ、スペイン、合衆国の計6か国で、ナイジェリアとセネガルは過去の発生例があります。
2014年のエボラ出血熱流行は、社会的に大きな影響を及ぼしています。多くの先進国にとって、感染症は過去に制圧されたもの、と受け止められていましたが、そうではなく、新たなうねりとなって私たちを襲ってくる可能性を、現実のものとして示しました。また、経済的な影響も非常に大きいものです。米国CDCは、西アフリカに於いて、1人の患者につき、1.5人の報告されない症例が隠れているとし、同地区においては、一億4千万人の患者が見込まれるとしています。また、症状を呈さないで、スクリーニングに引っかからない数も増えるだろうと予測しています。このCDCの試算をもとに、Forbes誌は、最悪のシナリがオをたどった場合、2016年末までに、治療費だけで約7000億円がかかり、世銀レポートによれば、最悪の場合、2015年までに3.5兆円の損失を世界経済に与えると試算しています。西アフリカは雨期が終わり、乾季になりました。この時期は、今まで一か所に固まっていた人たちが国境を越えて移動するので、最悪のシナリオを辿らないという保証はありません。

このようなエボラ出血熱に対して、我が国の対応はどのようになっているでしょうか。
感染症に対する法律としては、検疫法と感染症法(感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)があります。また、緊急事態と認識された場合は、新型インフルエンザ法(新型インフルエンザ等対策特別措置法)があります。これらの仕組みが、有事(緊急時)に即しているか、というと、そうではないと考えます。その理由についてお話しします。
 まず、このような法体系に基づいた仕組は効率的ではありません。検疫法は、国内に常在しない感染症が国内に入ることを防ぐための法律で、活動主体は厚生労働省の出先である検疫所です。検疫所は主要国際空港と、港という外国からの玄関口にあります。ところが、一たび国内に入ると、検疫法は外れ、国内法と呼ばれる感染症法に法って、感染症対策が行われます。この時の活動主体は、地方自治体です。2009年の新型インフルエンザ流行の際、防護服を着て空港内で活動していたのは検疫所職員で、2014年、デング熱患者発生の際、同様の防護服を着て、代々木公園などを消毒していたのは、東京都の職員です。また、検疫所の職員は、国際線ターミナルの制限区域に立ち入ることはできますが、国内線旅客ターミナルには立ち入れません。これらの例をとおして、検疫法と感染症法における活動母体の違いが、よく分かると思います。
 感染症法も国の法律ですから、厚労省の関与がないというわけではないのですが、法律をご覧になってもわかるように、感染症法に指定された感染症が発生した場合は、個人ないし医療機関が保健所に届けるというのが骨子で、その情報を地方自治体を通じて国に報告するという流れです。それゆえ、厚労省は、新型インフルエンザ流行の際も、国で決定された事項を「通知」あるいは「事務連絡」という形で地方都道府県に依頼をすることになります。
 1979FEMAレオ・ボスナー氏が来日し、1年間の視察ののち、多くの提言をおこなっています。それ等をうけて、指揮命令系統の一体化がはかられました。すなわち緊急事態と国が認識した場合は、内閣官房などが主体となった初動体制が敷かれることとなりました。内閣情報調査室から総理、官房長官、危機管理審議官、ならびに、内閣危機管理監(現在は警視総監)、内閣官房副長官補(官僚)、危機管理審議官に速報が入り、官邸対策室ができます。対策室は、緊急参集チームと協議して、関係省庁の局長級が招集され、有事の種類、事態などに応じて、主幹府省庁が決定されます。エボラ出血熱に関しては、現在、内閣官房新型インフルエンザ等対策室が、先導を取ることになっています。
 一見、このように統一された指揮系統の元、問題なく組織が稼働すると思われますが、残念ながら、実際の稼働となるとそうではなくなってくる可能性が高いのです。検疫法と、感染症法の2つの柱が感染症対策の基本であることは前にも申し上げましたが、2つの柱があるという事は、それらの法令に伴う棲み分けがあるという事です。具体的には、厚労省本省→結核・感染症課⇔検疫業務管理室→検疫所という厚労省ルートと、保健所→地方自治体→厚労省という地方自治体主体の枠組みです。国と地方自治体の棲み分けは、例として国際線ターミナル内を区切りとし、地方自治体では県境などが区切りとなります。しかし、先日の疑い例のように、検疫所を超えて国内に入った例のように、検疫法と国内法の2つがあることによって、状況把握や、感染症対策の一本化が難しくなってきます。厚労省は検疫所を通じて、疑い例に、「体温測定を一日2回して、体調を検疫所に伝えるよう、また、具合が悪くなったら感染症専門の医療機関を受診する、保健所に相談する」と伝えてあったのですが、具合が悪い方がそんなことを確実にするかというと、そんな事はありません。特に法的な義務が発生しているわけではないですし、それらの事を、強制する力も国にはありません。
 また、地方自治体は国からの通知や事務連絡を受け取ってはいますが、それを現実的にどう適応させるかは、地方自治体ごとに違ってきます。今回の疑い例が国と地方をまたがったように、地方自治体をまたがることも十分想定されるので、地方自治体ごとのすり合わせをしっかりとしておかないと、実際に事が起こった時スムースに物事が進まなくなる可能性が高いと言えます。


 

前にも申し上げましたが、国家の危機と判断された場合は、内閣危機管理監がリーダーとなって初動体制が敷かれます。総合調整として、各省庁に分担を振るのですが、エボラ感染症疾患の場合は、厚生労働省です。そうなると、平時の場合と同様のルート、すなわち、国内に入れないような水際作戦に過度に注力し、国内に関しては地方自体に依存するところが大きいという、平時の体制とほぼ変わらないやり方で、対応が進んでゆくことになります。厚労省に限らず、役所は法令順守を第一義とします。故にその法体系が現状にそぐわないことが、一番の問題点だと思います。
クリントン政権時代、初代FEMA長官を務めたジェームズ・ウイット氏は、講演で、「日本においては、多くの異なる省庁が異なる責任をもっているようである(中略)どこが総括的な計画をもっているのか、どうやって一緒に協力していくか、どうやって資源を調節するのか。中央のレベルから実際の地方のレベルまでどのように協力し、どうやって一定の資源から最大の効果を引き出すのか。資源は限定されており、いかにむだを省くかなど計画はあるのかがはっきりしない」としています。様々な通知などは発令されていても、エボラウイルス感染症を受け入れられる医療機関は全国45で、総ベッド数80であり、医療スタッフも不足している現状は、ウィット氏の指摘がそのまま当てはまることを示す例だといえるでしょう。
検疫法ができたのは昭和初期で、船が主要交通機関の時代でした。それゆえ、“港”という文字が前面に出てきます。もともとはチフス・コレラに対応した法律であり、船内でこれらの病気が発生した場合は、静養も兼ねた停留が行われたのです。ところが、今や、48時間以内に世界どの国でも行ける時代であり、感染症をとりまく状況も全く様変わりしています。WHOはヘルスセキュリティという言葉を使いだしました。これはすべからく、「健康問題はもはや安全保障の問題である」という事を示しています。言い換えれば、バイオテロの脅威にも世界は備えなければならないという事です。我が国は、オウム真理教が世界で初めてのバイオテロを行った国です。感染症の専門家集団ではない彼らが、一般のキッチン程度の設備で生物兵器をつくりだした事に対して、世界は驚愕しました。これがWHOはじめ、世界の感染症に関する意識を大きく変えたのですが、当の日本といえば、その感受性が高いとは言えない状況です。
また、検疫法には「隔離・停留」という言葉が何度も使われます。隔離という言葉は、日本語ではあまり正確に区別されていませんが、isolation=患者を一般集団から離す、quarantine=患者だけでなく、感染の可能性がある場合も一般集団から離す、という明確な区別がされています。特に患者でない人を一般集団から離す場合は、健常人である可能性もある人の行動制限を行うわけですから、十分な注意が必要です。隔離することの効果(医学科学的でなく社会的、政治的な側面も含めて)が、個人の自由を制限することによって生じる負のインパクト、例えば倫理的な側面など、を上回った時にだけ、その権力を行使すべき、と、D.A. Henderson氏は述べています(Bioterrorism JAMA books)。感染症が今後大きな社会問題となってゆく中で、隔離・停留の法的議論がなされないことはおかしなことです。エボラウイルス感染の可能性が否定できない米国の看護師が、個人の自由の主張を行い、州政府と争った状況とはあまりにかけ離れていると言えるでしょう。
実際、エボラウイルスは、ケン・アリベック氏が指摘する通り、その威力から生物兵器として科学者たちを魅了し、1990年台後半には、エボラウイルスの多量生産が可能になった、とその著書に記しています。日本でもブラッディマンデー(龍門諒原作・恵広史作画の漫画作品、およびそれを原作とした連続テレビドラマ)のモデルとなったウイルスですから、記憶に新しい方もいらっしゃると思います。ところが、この生物兵器の候補であるウイルスに関して、我が国はウイルス解析が可能な施設をもちません。正しくはBSL4の研究室が稼働していないという現状があります。ウイルスの遺伝子情報がわからなければ、そのウイルスがどこから来たのか、変異はあるのか、人為的にまかれたのか、それとも自然発生的なのかという基本情報が取れません。敵を知る、ことは兵法に於いても最も重要な事柄ですが、それができない、なさないというのは大きな問題です。この問題を重く見た日本学術会議は、今年3月20日、「我が国のBSL4研究施設の必要性について」の提言を行っています。
繰り返しますが、エボラウイルスには100%有効なワクチンも治療薬もありません。そのためにはできるだけ早く感染者を発見し、新たなワクチン、治療薬の開発が絶対に必要です。これは我が国だけの問題ではなく、国際社会の一員として、先進国の代表として行わなければならない最重点項目のひとつです。ところが、BSL4の施設がないことによって、診断薬、ワクチン、治療薬の開発に大きな制限がかかってしまいます。特に、ワクチン開発はウイルス疾患の予防に関して、もっとも有効なツールですが、遺伝子レベルの研究ができなければ、ワクチン開発自体が進まないというジレンマを生んでいます。エボラ出血熱は世界的な脅威であると同時に、研究開発に於いて大きなマーケットの場でもあります。BSL4施設の稼働は、この面から見ても重要です。
最後に報道に関して、です。今日は多くの報道関係者がいらっしゃっていますが、エボラ出血熱の報道の在り方には少なからず疑問を持っている人も多いと思います。今回の感染疑いの方も、あたかも犯罪者のようなイメージが作られ、受診した医療機関の責任も必要以上に追及されていたと感じます。2009年の新型インフルエンザ流行でも同じような状況でした。発病した高校生がまるで、悪いことをしたかのようにその行動が報道され、ソーシャルメディア内では実名も明かされました。感染症に対するおそれが、ある極端な形で社会的に取り上げられるというのは決して正しい方向とは思えません。また、感染症におけるメディア報道は、もう一つの大きな問題を提起しています。西アフリカの現状を伝えるために、報道スタッフが現地に入ることがあります。しかしながら彼らたちの感染防御に関する知識やトレーニングが十分にされているか、といえば必ずしもそうとは言えないと思います。こうした状況では、報道スタッフ自身が2次感染を広げる媒体となってしまう危険性があります。報道の自由とは相反することですが、今日はこの点についても議論をしたいと思います。


2014年11月17日

緊急セミナー開催のお知らせ

今回、各方面の専門家を迎えて日本のエボラ出血熱防御体制など危機管理対策を
検証する緊急セミナーを下記のとおり開催いたします。

日時:2014年11月19日(水) 13:00~
会場:東京都千代田区神田錦町3-28 学士会館203号室
主催:医療法人財団 綜友会
テーマ:「エボラ出血熱リスクと日本の危機管理体制」


2014年10月28日

エボラ出血熱~感染症危機管理の立場から~(3)

10月27日、リベリアから羽田空港に到着したジャーナリストがエボラ出血熱疑いで、指定医療機関に入院となりました。

簡易検査の結果、陰性でしたが、エボラ出血熱が対岸の火事ではなく、何時日本に
入ってきてもおかしくないことを明確に示すことになりました。

また、それだけではなく、今回のケースは重要な課題を提示しています。

それは、ジャーナリストやNPO関係者に関してです。

今、エボラ流行国には、現地報道をするための多くのジャーナリスト、そして、医療活動を行うためのNPO関連の人たちが入国しています。

特に、政府や国連関係者が入り込めない地域については、こうしたNPOの人たちの活
動が大きな成果を生んでいます。また、流行国の現状は、実際現地取材でしかわかりえない事も多くあります。

しかしながら、彼らたちのエボラ出血熱に対する防御は決して十分なものとは言えないのが現状です。

例えばジャーナリストの中には、エボラ出血熱に対する防御を、取材の妨げになるといって回避する事もあります。

また、NPOの人たちは、感染リスクの大きさを理解しながらも、敢えて危険を冒さなければならないことも十分考えられます。

問題なのは、こうした人達が、感染を拡大する要因の一つになってしまう可能性があることです。報道の自由、有用性、現地での医療活動の重要性は非常に大きいものですが、それを超えるリスクがどの程度存在するのか、そのリスクを回避するためには、規制が必要なのか、もしそうであれば、どの程度か、といったことも含めて様々な角度からの国際的な議論が必要な時だと思います。

WHOが警告する通り、感染症は新たな脅威として私たちの前に立ちはだかっています。この脅威に対抗するためには、世界がその脅威を重大な危機として受け止め、協調することが不可欠です。

今回、ジャーナリストという感染リスクの高い疑い例を出した日本こそ、そのイニシアティブを取る、国際的責任があると思います。

2014年10月15日

エボラ出血熱~感染症危機管理の立場から~(2)


 前回は、病気の症状、治療、予防に関して書きましたが、今回は、エボラ出血熱に対して、国としてどのように対応すべきなのかを論じることにします。
 大きな命題として、“我が国のエボラ熱対策に問題があるかどうか”という事があげられます。それに対しては、「非常に問題がある」と言わざるを得ません。感染症専門家の不足、感染症病棟の不足、水際対策の不徹底、など、様々な問題点が指摘されていますが、最も大きな欠陥として、「我が国には危機管理の概念がない」という事だと思います。言い換えれば、「平時」と「有事」の区別ができていないという事です。具体的にどういうことなのか書いてゆきます。
 エボラ出血熱をはじめとする感染症は、感染症法という法律で規制されています。感染症の中で、我が国に通常存在しないものに関しては、外来感染症として検疫法でも縛られています。エボラ出血熱の場合、感染症法では感染症類型1に、また、検疫法では一塁感染症に位置づけられています。これは厚労行政において、どのような意味を持つのかといえば、検疫感染症が外国で発生している場合は、検疫所、すなわち厚生労働省が主体となって、その対策に当たるという事です。もっとわかりやすく言えば、検疫官が防護服に身を包んで、サーモグラフィーという表面温度をはかり、「水際で食いとめ、国内には絶対に入れない」とする対策です。
 しかし、感染症には潜伏期間があり、空港で食い止めることは不可能です。14~15世紀に世界的に大流行したペストの際、イタリアの海岸線で、流行地から来た船を40日間停めおきましたが、ペストから逃れた国はありませんでした。船が主要な運輸手段であったペストの時代、感染症の流行が起こると、次の流行が起こるまで、4,5日の猶予がありました。ところが今や航空機が主流ですから、48時間以内に世界中に移動できます。このような状況で、感染症を水際で防ぐという事が、いかに困難かという事がおわかりになると思います。
 当然、検疫をすりぬけ、国内発生が起こるわけですが、ここでの主体は、厚生労働省ではなく、地方自治体になります。それは、国内では検疫法は適応されず、感染症法に法って、地方自治体が主導となるからです。代々木公園でのデング熱発生の際、防護服を着用して消毒作業を行っていたのは、東京都の職員というのが、わかりやすい例でしょう。
 繰り返しますが、エボラ出血熱には潜伏期がありますから、検疫所に黄色のテープを張って食い止めるというのは限界があります。もしひとたび国内で発生すれば、非常に大きな問題となります。国内の問題にとどまらず、国際的にも大きな問題となるからです。観光客の減少などで経済にも影響する可能性があります。
 エボラ出血の様に感染力も強く、致死率も高く、(今回の流行では49%)、確立された治療法も予防法もない感染症が発生したら、国家の危機といえる状況を引き起こしかねません。ところが、こうした不測の事態に対応する現状は、国外法(検疫法)と国内法(感染症法)という縦割り行政であり、一元化された危機管理体制にはほど遠いものです。水際対策の重点化を進めるよりも、感染症を“国家危機”の一つととらえ、系統だった指令体系を構築することが最も重要です。

 私たちは近頃、新型インフルエンザ(2009年)流行を経験しました。WHOからも非難された水際作戦を見なおし、国民を真に健康被害から守るという、厚労省本来の役割を遂行すべき時であると考えます。